『22世紀への伝言』

小林正観 

あるとき、旅行をして帰ってきた人に、「どうでした?」と旅の様子を訊ねたところ、10ほど挙げた感想のうち、「紅葉がきれいだった」という。
他の9つすべて「人がいなくて寂しかった」「怖かった」「雨で楽しくなかった」「寒かった」「入った店がつまらなかった」などというものでした。
せっかくの休みに、お金と時間をかけて旅してきたのです。
もう少し楽しい印象を自分で探すことができたら、この人の旅はもっと楽しく素晴らしいものになったに違いありません。

「最近感じたことを書きなさい」「5分ほど話しなさい」というテーマを与えられたとき、悪口や文句、非難、批判、不平不満などは書きやすいし、言いやすいと言われています。
私は旅行関係の原稿を書くのが仕事ですが、もしスランプになって原稿が書けなくなったら、最後の最後の手段として、旅先であった不快な事なら何百枚でも書けそうな気がします。
社会に対しても人間関係に対しても、粗さがしをするのは簡単です。けれども旅するときに多くの時間と費用をかけるように、私たちは人生の中で、時間と労力を使って長い“旅”をしているのです。粗さがしをするためにこの世に生を受けた訳ではありません。
素敵なこと、素晴らしいことを探すために、多くの時間と労力を使いたいものです。それを見つけることを感動と呼ぶのです。
アメリカは多民族国家で、混血の人も多いのですが、混血を意味する英語は従来「ハーフ(半分)」でした。
それが一部の教育者を中心に、「ダブル(両方)」と呼ぶことが広がっているそうです。「半分ずつか、両方をもっているか」そういう日常的なことからも視点を変えていくことが、肯定的な目を培うこになるのでしょう。

アルコール、除菌、マスクの仲間の勉強塾より