『孤独がきみを強くする』

岡本太郎

死なないようにリスクを避けて生きるのではなく、瞬間瞬間に命を捨てる生き方、自分に忠実に生きるのではなく、自分自身と闘う生き方、
自分を他人と思い、他人を自分と思う生き方、そして「幸福」ではなく、「歓喜」を追求する生き方……。

孤独はただの寂しさじゃない。人間が強烈に生きるバネなんだ。孤独をつらぬく人間は、この世の中では珍しい存在だ。
ほんとうの孤独とは、すべてに妥協しないで自分をつらぬいていくこと。やりたいこと、やったことだけが自分なんだ。
プライドとは絶対感だと思う。バカであろうと、非力であろうと、それが自分だ、そういう自分全体に責任をもって、堂々と押し出す。
それがプライドだ。

もし世界が変えられないとしても、変えることができるものがある。自分自身だ。自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、安易で、甘えがある。
ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければ駄目だ。未熟ということをプラスの面に突きあげることが人間的であり、素晴らしいことだと
思わなければいけない。この世の中に完成なんてものは存在しない

いのちをしぼる大きな賭けに戦慄する。そして、それを決意した瞬間から、殉じる。猛烈につらぬきとおすこと。それが生きるってことだよ
感動したものに挑むこと。それが創造の真のスジだ。あらゆるものについて猛烈な素人でなければならない。
じっさい、いままでやったことのないこと、苦手な問題にぶつかると、人間的情熱がもりもりと湧きおこってくる

じつは、自分だって他人だし、他人だって自分なんだ。まことに己れを超えて、他に強力に働きかけていく、
単数であると同時に、複数者であるものこそ、ほんとうの人間だ

人類全体のことを考えたら、幸福なんてことはこの世にはないんだよ。だからぼくは、幸福を“歓喜”という言葉に置きかえている。危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃えあがる。それは生きがいであり、そのときにわきおこるのが“歓喜”だ

個人財産、利害得失だけにこだわり、ひたすらマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだと思う

ぼくは生き方についての考えを、くるりと引っくりかえすことをすすめる。それを「遊び」と言ってもいい。
これからの社会は、無目的に「遊ぶ」ことについて、みんなが真剣に考えなければいけないと思う

高齢化社会、親からの遺産相続、シェア、ITによるコスト削減、ロボットの恩恵による労働からの解放……。
いろんなことを考えると、これからの究極の職業は「遊び人」ではないかと思うのです。

もっとも生き方上手な人、充実した生活を送っている人、センスの良い人が人気が出て、そうでない人に教える社会。
そうなると、芸術家の思想というのが俄然注目されると思います。

アルコール、除菌、マスクの仲間の勉強塾より