『ほがらかに品よく生きる』

精神科医、斎藤茂太

私は、ものは考えようだといつも言うけれど、
「幸福」も「不幸」も考え方しだいでどうにでもなる。

私は何ごとも、いい方へ、いい方へと解釈する。

生きていれば、腹の立つこと、悲しいこと、
思い出したくないことも数多く出てくる。
また、楽しく、愉快なこともいくらでもある。

そいういうことを、いろいろ思い出しては、
私は「まあ、なんだかんだといっても
幸福な人生を歩んでいる」と考え、満足する。

自分を幸福と信じる人が、
本当の意味で幸福な人だと思うからである。

ある年齢になって、過去をかえりみて、
「幸福だった」と思う人は、
自分の過去をいい方へ評価した人である。

いろんなことをやってきたという満足感を持っている。

老年になれば人は誰でも「それなりに幸福な人生だった」
と思うのではないだろうか。

時間がたつといろいろなことが美化されるというのは
人間に与えられた特権である。

老年の人から「昔はよかった」という言葉をよく聞く。
しかし、どんな人でも「よかった」ことばかりがあったはずはない。

嫌なこともいくらでもあったはずである。
が、どんな苦しいことでも、長い間には美化され、
悪くない思い出として脳裏に残るのだ。

目の前の嫌なことは片端から忘れていく。
これは実にうまくできたメカニズムである。
人間というのは実にうまくできていると思う。

一方で、満足できない、まだやり残しがあると思う人もいる。
私はそれも大切だと思う。
やり残しがあると自覚するのは、前向きな証拠なのである。

人生は勉強の連続で、
必ずいくばくかの不満を持って人は終わる。
それはそれで結構なことではないか。

旅行をすれば見たいところは無数にある。
しかし、すべては見られない。
見逃しは必ずでてくる。

だから「次の楽しみにしよう」と思う。
「もう一度ここに来たい」というエネルギーの源泉になる。

人生も、心残りを少しばかり持つのが幸福に生きるコツだ。
残したものを少しずつ埋めていくのが、また楽しいのである。
残り物に福あり、だ。

 斎藤一人
「よく、過去は変えられないって言うけれど
それはまったく違います。
なぜなら過去はあなたの中にある思い出だから。

どんなに嫌な思い出も
『あのことがあったから今の自分があるんだ』と
いい思い出に変えてしまえばいいのです。

過去の思い出を自分の思い通りにすることができたなら、
未来も素敵な夢に変えることができます。

その夢に向かって今やれることを、
楽しみながら一歩一歩進んでいく…。
そういう人に神様は味方してくれますよ」

過去は考え方次第で、良くも悪くも変わる。

未来は、過去に対する考え方や見方が変わらない限り変わらない。
その人の生き方のクセだからだ。

悪い方に悪い方に考えるクセのある人は、未来も悪い方に行く。
どんな時も、いい方へ、いい方へと考えねば。

アルコール、除菌、マスク、仲間の勉強塾より