「完成を超えた不完全の美」

 桝野俊明 

ヨーロッパでは、マイセンのティーカップを見れば分かる。
これ以上、巧妙に形が作れない、 これ以上精巧に図柄を描き表す事は、できないと言う所まで きちっと形を作る。
これを最高の美しさと表現している。
もうこれ以上、人間が手を尽くす事ができないほど 完成された美しさを、最高の美だと表現する。

日本では考えが、まったく違ってくる。
抹茶茶碗を見ても、形がゆがんでいたり、 釉薬のかけ方も均一でなかったりする。
また、火のあたった所と当たってない所。 これは偶然にできたものだが、それを面白いと言い、「景色」と言い褒める。
でき過ぎた物には、作り手の人間性が入り込む余地すら無くなってしまうので、完成させないで壊してしまう。
それを超える。 例えば、焼き物であれば、 土と作り手と時間が一つになった時に完成したと言う。 
その状態は、まさに「完成を超えた不完全の美」である。

絵を比べてみる。油絵は、デッサンしてデッサンして、もうこれでいいと、構図が決まったら、色を載せて行く。
その色も、何回も何回も、上に載せて行く事が出来る。そして、これ以上、力を尽くす所が無くなった時に画家は手を離す。

それに対して、墨絵は白から黒までのモノトーン。 果物の柿を描いても、その柿が、どの程度熟しているかは見る人の力量に委ねられる。

墨に五彩ありと言われる。 五彩というのは、無限大に色を表現できるという意味だ。 
これは、見る人の創造力に任せると言う事である。

アルコール、除菌、マスクの仲間の経営塾より