『自閉症の僕が「ありがとう」を言えるまで』

イド・ケダー 

著者のイド・ケダ─氏は、2歳8カ月で重度自閉症と診断され、3歳から行動療法に取り組んで来た。頑張っても改善せず、一時は専門家から深刻な知的障害があると診断されたが、7歳の誕生日に、奇跡的に文字が書けることを母親が発見。文字盤で意思疎通をする方法を学び、この本が書かれた。
私たちは、つい自分の常識と照らし合わせて他者を評価してしまいがちですが、著者によると、自閉症の専門家や学校の先生でも誤解している事がある。

著者によると、自閉症の人が叫び声を上げたり、口に含んだ水をペッと吐き出したりするのは、うっぷんを吐き出すためだそう。健常者がストレスがたまった時、酒を呑むのと同じような印象です。
また、相手の目を見ない方がちゃんと耳を傾けられるとか、モノを口にするのは彼らにとってモノを認識するための一手段にすぎない。
この手記を読んでいると、自閉症の人には、健常者にはない優れた能力がいくつもあり、我々はその長所を活かせていない。

僕には光と形が織りなすパターンが見えるのだ
みなさんはそこの言葉がしゃべれない国に行ったことはあるだろうか。思っていることを誰にも説明できないのは恐ろしいことだ。
会話のできない自閉症者は、この孤独と一生折りあっていかなくちゃならないのだ
コミュニケーションというのは一種の「スキル」なのだ。スキルを身につけるまでは、最初はサポートが必要なのは当然だ。
僕は本のページをぜんぶ頭の中で「見る」ことができる。十年前のことも決して忘れない。なのに、着替えを最後まですることを覚えていられない。僕は本や会話を、細かいところまで覚えすぎているひとつ大事なことをつけ加えたい。

これまでの自閉症教育は、僕たちの障害や「できないこと」にばかり焦点をあててきた。幸せになる秘訣は、自己憐憫をやめることだ。
そう、彼らも決意したのだ──ありのままに生きることを。つらくても努力する覚悟を持つことを。人とはちがった生き方をする勇気を持つことを。試練を達成に変えることを

見るかぎり、彼らはどんな病気にもかかっていないのに、それでも自分をクールに見せようとして逆にみじめになっている。あるがままの自分を受け入れようとしないグループに、必死で自分を合わせようとしている。
着ている服やしゃべりかた、聴いている音楽、あるいは宿題をまじめにやるかどうか。そんなことで自分を好きになれる筈はないのに。

僕の人生は僕のものだ。だから、自分の力で変えることのできないものはそのままに、できることは克服して、人生を受け入れていこう。
そして、今の自分が過去の自分に比べてずっと幸せだということに気づこう。
贈りものをもらったように暮らす。

「もし自閉症じゃなかったら……」というのはマイナス思考だと気づいた。理想の人生を思い描いたところで、憂鬱になるだけだ。
「今ないもの」ではなく「今の現状」に心を注ごう。解決策は、うらやましがる心と戦うこと。あり得たかもしれないことではなく、現状に取り組むこと。僕たちにはたいへんな難関があるけれど、それでも自由になれる

「多様性の時代」と言われて久しいですが、我々はまだまだ、「他人は自分と違う」という事実を正しく認識できていない。
違う世界を理解することは、人に優しくなれること。そしてまだ解決されていない問題に気づくこと。それはマネジメントであれ、マーケティングであれ、やがてビジネスにつながっていきます。

人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。

アルコール、除菌、マスクの仲間の勉強塾より