「死後の世界を考える」

宮下規久朗

精神科医、エリザベス・キューブラー・ロス

「死ぬ瞬間」死を前にした患者の精神状態を分析した。死を宣告された者は、当初かたくなに「否認」する。その運命に「怒り」、何とかならないかと「取引」を試みる。無駄だと「抑鬱」に陥り、最後に死を「受容」する。大事な人を亡くした時の悲嘆も、同じような段階を辿る。

3年前に、癌で死にゆく一人娘を看取った。その悲嘆を経験した私は、これが、おおむね正しい事を実感した。やがてロスは、大病を経て幽体離脱や臨死体験を経験し、魂と死後の世界について発言するようになった。あの世だけでなく、生まれ変わりや前世についても論じたが、非科学的だと批判され、オカルト視された。

彼女に一貫するのは、死にゆく者への愛である。それが大きいあまり、死後もその魂が継続すると考えるのは当然である。人間は、死後どうなるのだろうか。

「ヨブ記」を含め旧約聖書の世界では、虚無であった。新約聖書では、永遠の生命や死後の復活も示唆される。しかし、死者が何処にいて、そこがどうなっているかは、ほとんど語ってくれない。

輪廻転生を説く、仏教やヒンドゥー教では、基本的に死後の世界は存在しない。

○「臨死体験」立花隆「臨死体験では、似たような光のトンネルをくぐり、お花畑のような光景や、先に死んだ親族に出会う者が多い。」このため、個人的な幻覚とは片付けられず、あの世の存在を示すものだと主張する者もいる。しかし、それを語るのは、結局死ななかった者に限られる。説得力は乏しい。

○「人は死なない」 矢作直樹「東大病院の救急救命医の経験から生まれた、死後の世界の存在の主張には説得力があるがそれを証明できる材料は無い。これも信念に留まっている。」

結局、死後の世界は、神と同じだ。信じるか信じないかに帰着する。私の様に、それを信じなければ生きていけなくなった者にとっては、存在しなければならないものなのだ。

アルコール、除菌、マスクの仲間の勉強塾より