『神(fbm27サムシング・グレート)と見えない世界』

矢作直樹・村上和雄 筑波大名誉教授、

自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、実は私たちの体はすべて借りもの、要するに“レンタル”なのです。レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。これが「死ぬ」ということです。貸し主は地球、宇宙、そして神です。体は地球や神からの借りものという考えは、昔から日本にあります。

神は、私たちに体を貸した際、レンタル料、利息と表現してもいいですが、そういうものを取るようなケチ臭いことをしませんでした。すべての人に対して無償で貸してくれたわけです。
それでは、借り主は誰でしょうか?あなた?あなたというのを仮にあなたの体と表現すると、体は60兆個の細胞でできており、それらは1年くらいで1度全部入れ替わりますから、そういう主体性のない存在に借りる権利はありません。では、心?そう思うかもしれませんが、そうではない。なぜなら、心はしょっちゅう変わります。細胞と同じです。入れ替わるというか、心はその時の状況や感情でどんどん変化します。昨日の考え方は、今日にはありません。

こんな不安定なものに体を貸せるわけがありません。すると、残っているのは魂しかありません。「三つ子の魂百まで」と言いますが、「三つ子の心百まで」とは言いません。
心も体も日々、入れ替わっているからです。心は、確かに私の一部ではありますが、毎日変わります。死ぬと、くやしい、さびしい、嬉しいといった心はなくなりますが、魂はなくなりません。こう言うと、死後世界の問題は医学や遺伝子とは何の関係もない、見当外れだからよそでやれ、そもそも宗教学で議論せよとなるわけですが、よく考えてみてください。

人間は心だけで動いているわけではないのです。潜在意識という、自分の意思(顕在意識)ではどうしようもないようなもので動いている時もあります。
そういう状況を考えると、魂こそが本当の自分であり、それに対して神が体を貸しているというのが、私の中では正解です。

アルコール、除菌、マスクの仲間の経営塾より