『社長のいき方』

日本経営合理化協会理事長、牟田學

テーブルの上に置いてある1個のグラスは、それがどんな形であっても、決して生命体ではない。しかし、喉がカラカラに渇いた人が、そのグラスに水を汲んで飲む。そうすると、グラスはその人によって生かされ、生命を持つ。つまり、生きていることになる。

キェルケゴールは、存在しているものはみんな生きていると説いている。たとえ、それが生命体であってもなくても、別の個体に強く必要とされるものは、その存在の価値が高くなり、長く生き続けることができると教えている。この哲学は、実存主義として、フランスのサルトルやボーボワールや、インドのタゴールによって主唱され、21世紀の哲学として資本主義社会の中で生き続けている。

会社はさまざまな商品やサービスを売っているが、1個のグラスと同じようにお客様に「あなたの商品やサービスは素晴らしい。あなたからしか買わない」と言わさないと強い存在にはなれない。会社はお客様という別の個体に生かされている。

また、社長という存在は、多くの社員から「あなたがいるから、私たちは食いっぱぐれがない。ありがとう、ありがとう」と言われて強く生きている。ルールや慣習や、提供している商品やサービスの品質、値段、納期を磨き、どんなライバルよりも高いレベルにあって初めて評価され、強い存在になれる。一度でも、不正があったり、裏切ったり、嘘や、不便や欠点があれば、別の個体は、即座ににそれを察知し、必要としなくなってしまう。それが現実であり、そこに実務がある。

会社でも、家庭でも、またどんな集合体でも、男女仲でも、親子でも、上役と部下でも、情が下手だと嫌われ、疎んじられる。情が上手だと愛され、好かれる。また、実社会には、情の外に科学がある。この二つを処世の哲学として、存在価値を高め良心を養い、新しい秩序をつくることだ。

情とは喜怒哀楽である。情は社長業の必須の要素である。強い情は目的を達成するのに大いに役立つ。しかし、対人関係には反対で、嫌われることが多い。下手な情だということになる。情の弾力性は社長にとって大事なことだ。

アルコール、除菌、マスクの仲間の経営塾より