『地球が天国になる話』
斎藤一人
〇「死神」というのがいます。この死神には、なぜか「神」という字が付いている。皆さんが思っているような、薄汚れた着物を着たり、手にカマをもっていたり、あれは本当の死神ではありません。あれは妖怪とか、もののけとか悪魔とか、そういうものと一緒くたにしています。
本当の死神とはいうのは神様なんです。天使の一人と言ってもいいんです。人間は過去を引きずって生きています。小さいとき失敗した、親に怒られたなど、いろんなことを引きずって生きています。その引きずっている過去から切り離してくれるのが、実は最後の神様、死神なんです。
これはどういうことですかというと、例えばあなたが、「一ヶ月の命だ」「今日一日の命ですよ」と言われたとします。もし今日一日の命だとしたら、「行きたいところに行こう」それから愛する人に「お世話になりました」と言おうとか、そういうことになります。
〇死ということを考えると。親もずっと生きていると思うんじゃなくて、いつ死んじゃうかわからないと思うと、「ご飯のひとつも食べさせたいな」「おすしでも食べさせたいな」「あんな貧しい中で自分を良く育ててくれたな」とか、いろんなことを思います。
私は仕事をしていて、いつも死というものを考えます。ひとたび死というものに会うと、どんな会社をつくり、どんな財産をつくり、どんなに土地を持っても一瞬にしてなくなります。
そうすると、人間って何をするべきなんだろう。ただ、ただ、死を恐れるんじゃなくて、死というものがあるんだと考えただけで、そんなにごうつくばりみたいなことしなくたっていいんだ、今、幸せじゃないかと、それから、人が喜ぶ講演会でもやった方がいいんじゃないか、と思います。
人は死というものを恐れて、毛嫌いして生きてたけど、それは悪魔がそう思わせるんです。死神が取りついて自殺しちゃったとかというのもあるけど、それは寿命が来る前に勝手に死んだ人にとりつく「もののけ」か「悪魔」です。
人は、死んでまた生まれ変わり、何度も生まれ変わりするものだから、その迎えに来てくれる死というものを、怖いものだ怖いものだと思わせようとするのは悪魔の仕業です。それより、もしかしたら自分もいつ死ぬかわからない。そして相手も、目の前にいる人も、いつ死ぬかわからない。
でも、いらいらしてガガガッと「おまえなんか大嫌いだ」と、ほんとうは愛している人に言っちゃうこともある。でも、そのまま相手が死んじゃったら、あいつに何てことを言ったんだろうって、逆に言うと、自分が死んじゃったら、自分はすごく子どもやなんかを愛したのに、「ほんとはおまえなんか大嫌いだ」って言っちゃった。その日に自分が死んじゃったら、自分は何て思うだろう。そういうことを考えただけで、人はまともに愛の道に戻れる。
〇『捨てて』
どんな大事なものでも荷物はみんな捨ててください自分のからだも捨てるんですよ……三途(さんず)の川の番人のことば……
どんなに財産があっても、いい車を持っていても、また、どんなに美人ででも、鍛えられた肉体でも、死んだらあの世に持ってはいけない。
この世に残していけるものは、人の心に残した言葉や、愛や、想いやあるいは、憎しみや悲しみだけ。もし、明日この世を去るとしたら…
人を傷つけたり、悲しませることだけはしたくない。毎日、感謝の気持ちで、愛ある言葉を発したいですね。
アルコール、除菌、マスク仲間の経営塾より