「落語は凄い」 

立川志らく

落語の何が凄いのか。それは、非常識を楽しむ芸能であり、観客の脳内に侵入してワールドを形成するエンターティメントだという事だ。

非常識を楽しむというのは、常識の無い馬鹿が失敗する様を、楽しむと言う事だ。それは、人間の業の肯定である。馬鹿は、いくら頑張ってもしょせん馬鹿。醜男が苦難を乗り越えても、やはり美女とは結ばれない。友情なんて、いとも簡単に壊れる。それを良いとか悪いとか言っているのではない。人間なんて、そんなものだというのが業の肯定だ。

もっと分かり易く言うと、忠臣蔵。討ち入りに行ったのは47人。行かなかった家来の数は、相当なモノだろう。つまり、討ち入りなんかしたって成功なんかするものか、しても、御咎めを受けて切腹、ならば逃げちまおう。この逃げた家来を描くのが落語。業の肯定となる。討ち入りに行った47人は、業の克服となり、映画や芝居になるのだ。

非常識を楽しむのが落語というエンターティメント。人間の業を肯定するのが落語。そして、客の想像に委ねるのが落語。それらを、表現実行できる落語家が良い落語家となる。ただし、現実は正解である。正解できる落語家の数が少なかったから、落語に対する偏見が生まれてしまった。残念ながら、それは間違いのない事実である。

アルコール、除菌、マスクの仲間の勉強塾より